『ハクソー・リッジ』に関する5つの疑問「中国で大ヒットした理由は?」「なぜオーストラリアとの合作になったのか?」

(前項から続く)

疑問その5:『ハクソー・リッジ』はなぜ中国で大ヒットしたのか?

『ハクソー・リッジ』は2016年の11月からアメリカで公開され、最終的な興行収入は6,720万ドルでした。それに対し、ほぼ同時期に公開された中国では6,211万ドル、全世界の興行収入1億7,530万ドルのうち35%を占める大ヒットとなりました。(参照:Box Office Mojo

それでは、なぜ『ハクソー・リッジ』は中国でここまでヒットしたのでしょうか?容易に思いつくのは「”抗日戦争”を描いた映画だから」という仮説です。

今回は①中国の映画情報サイト・豆瓣の観客レビュー、②アメリカのQ&Aサイト・クオーラに投稿されたQ&A、そして③中国の新聞・環境時報の記事で検証してみたいと思います。

映画情報サイト・豆瓣

豆瓣(douban.com)は、日本のYahoo!映画のような映画情報サイトです。『ハクソー・リッジ』の観客レビュー・スコアは、8.7/10と極めて高い評価を得ていました。

ちなみこのレビュー・スコアの元になっているのは、なんと24万5千人分の投稿結果です。アメリカの人気映画情報サイトRotten Tomatoesの場合、ハクソー・リッジ』の観客レビュー数は4万9千人(ちなみに支持率は92%)ということですから、中国の映画熱の高さがうかがえます。

豆瓣の『ハクソー・リッジ』観客レビューの中で最も支持を集めていたコメントの一部を抜粋してみます。

印象深かったのは最初の戦闘の後で迎えた最初の夜に、主人公と仲間の兵隊が2人で塹壕にいるシーンだった。仲間の兵隊が主人公に缶詰を勧めると主人公は肉を食べないからと断った。それを見た私は、ああ、なんて立派な人なんだと思った。

彼の信仰は戦争を変えられなかったが、戦争も彼の信仰を変えることはできなかったのだ。

このコメントなら私も”支持”ボタンをクリックします。

他のコメントについても、支持の多いものから順に目を通したのですが、映画のテーマとは直接関係ない批評やコメントが目立ちました。

例えば、日本軍はなぜ崖の上から米軍を攻撃することを思いつかなかったのか、といったような戦争そのものに関するコメント、あるいは宗教的テーマと”抗日戦”を同時に描いたことに対する不満、さらには信仰が奇跡を起こしたかのような表現をジョーク扱いするコメントなどもありました。

あくまでも個人的な印象を元に、それらのコメントを取り纏めるとすれば「”抗日戦争”を描いた作品という事で劇場に足を運んだが、映画の内容は想像していたものと違っていた。ただ結果として映画は気に入った」というのが、平均的な感想ではないかと思います。

なお後ほどご紹介する中国の新聞『環境時報』の記事でも取り上げられていましたが、『ハクソー・リッジ』が実話だと知らないで劇場に足を運んだ観客が多かったようです。

(ソース:血战钢锯岭,豆瓣

アメリカのQ&Aサイト・クオーラ

次にチェックしたのが、アメリカのQ&Aサイト・クオーラです。日本のYahoo!知恵袋のようなサイトですが、大きな違いは質問者も回答者も実名を公表しなければ参加できない点です。

知識検索サービスQuora(クオーラ)Yahoo知恵袋との違い
知識検索サービスQuora(クオーラ)をご存知でしょうか?Yahoo!知恵袋のようなインターネット上のQ&Aサイトなのですが、ひとつだけ大き...

このクオーラに「なぜ『ハクソー・リッジ』が中国でヒットしたのか?」という、まさにそのものずばりの質問が掲載されており、すでに5人から回答が寄せられていました。その一部を抜粋してご紹介します。

『ハクソー・リッジ』はとてもいい映画ですし、世界中で人気を集めるべき作品だと思います。ただ、中国人にとってそれは特別な意味があります。映画を見た多くの人は、日本の兵隊がいかに残酷か知ることになるからです。

(中略)

この戦争(中国では抗日戦争、第二次世界大戦の一部、と呼びます)は中国人にとって特別な意味があるのです。

そしてこのトピックについて扱った素晴らしい映画であれば、中国では人気を集めるのです。

(大学生、北京市・中国)

回答は全部で5つありましたが、次にご紹介する1つをのぞき、全て”抗日戦争”が描かれていたことを中国における大ヒットの理由に挙げています。

なぜならそれが、高い予算と品質で製作されたハリウッドの大作映画だからです。中国ではここ最近、ほとんどのハリウッドの大作映画が人気を集めます。国内の映画産業は製作技術を習得途中なのです。

(職業、住所未公開)

宗教に関する側面について、肯定的に触れた回答は見当たりませんでした。

なぜなら、それが第二次世界大戦、とりわけ中国人が言うところの抗日戦争に焦点を当てたものだからです。そしてあきらめない精神について描いたものだからです。

(ツアーオペレーションマネージャー、西安市・中国)

サンプルの数としては決して多いとは言えませんが、仮説を裏付けるような内容が目立ちます。『ハクソー・リッジ』が中国でヒットした最大の理由は、最後に紹介するこちらの回答に集約されていると言えるかもしれません。

1.戦争描写がリアルだから

2.日本兵を叩きのめすから

(学生、ニューヨーク市、米国)

(ソース:”Why was Hacksaw Ridge so popular in China?”Quora

中国共産党機関紙「人民日報」の国際版「環球時報」

2016年の12月14日、中国共産党機関紙「人民日報」の国際版「環球時報」のオンライン版に「メル・ギブソン監督の『ハクソー・リッジ』が中国のボックス・オフィスを席巻したことで、議論が巻き起こっている」という記事が掲載されました。

この記事では”抗日戦争”としての『ハクソー・リッジ』という扱いは、”ほぼ”影を潜めています。タイトル通り『ハクソー・リッジ』公開後の話題をレポート形式で取り上げていますが、そこは中国の新聞。ちゃんとアジェンダが見え隠れしています。

記事を要約すると以下のようになると思います。

  • 「必見の映画」としてネット上でも話題となった『ハクソー・リッジ』が実話だということを知らなかった観客は、それがキリスト教の宣伝映画だと思ったという。(この背景には)中国で最も人気のあるジャンルの一つである第二次大戦を舞台にした戦争映画に見られる非現実的な戦争描写がある。
  • 勝利の喜びを描くことに力点が置かれる中国の戦争映画と違い『ハクソー・リッジ』は、最前線で戦う事の名誉について描かれている。同じ戦争映画でもアン・リー監督の『ビリー・リンの永遠の一日』は空想の物語で普通の人物を描いているのに対し、『ハクソー・リッジ』は実話なのに超人的な英雄を描いているのは興味深い。
  • メル・ギブソンの戦争映画が尊厳、自己犠牲、あるいは奇跡を描くのは彼がカソリック信者だからだ。実際の軍隊では、人を救う前にまず自分の身を守らなければならないし、自分の身を守るためには誰かが戦わなければならない。
  • 2013年の『ジャンゴ 繋がれざる者』の公開差し止め対応でも明らかなように、中国政府は外国映画の暴力のレベルについて審査してきた。
  • 『ハクソー・リッジ』は中国で初めてレーティング(12歳以下の子供は親の同伴が必要)が設定された映画となった。ただ、正式なレーティング・システムへの移行期ということで厳格な適用はされなかった。ネットではその理由が「日本軍が登場する第二次大戦の映画だったからなのでは?」というジョークがささやかれた。  

(ソース:Global Times 環球時報英語版)

自国の”抗日映画”の暴力表現を批判したり、まかり間違っても厭戦気運が蔓延しないようにするためか、戦わない兵士の活躍を描いた『ハクソー・リッジ』という映画が、デズモンド・ドスやメル・ギブソンという熱心なキリスト教徒の存在に支えられた「特別な映画」であると強調するあたりにこの記事の目的が見え隠れしています。

なお、中国政府は依然としてバチカン政府と断交状態にありますが、政府の管理下にある教会を通じてのキリスト教布教活動は認められています。『ハクソー・リッジ』のテーマである信仰についても、問題無しと判断されたのでしょう。

中国政府が問題にしたとすれば、やはり暴力的な表現だったと想像します。確かに『ハクソー・リッジ』の暴力的な表現は『ジャンゴ 繋がれざる者』のそれとは表現手段としての目的が大きく異なりますが、これまでの検閲基準に照らせば、何らかの形で規制の対象とされても不思議ではなかったと思われます。

ただ、記事の中で「ネット上のジョーク」と断りを入れた上で記者自らが紹介しているように、暴力表現に関する規制を免れた理由が、中国で最も人気のある映画のジャンルの一つである第二次世界大戦の対日戦争を扱った戦争映画であったことと無関係だったとは考え難いのではないでしょうか。

なお、中国政府は『ハクソー・リッジ』公開当初は上映期間を短く設定し、その後期間を延長するという措置を取っています。収益面、政治面でのメリットが大きい”抗日戦争”映画としての『ハクソー・リッジ』ですが、ロングランを決定する前に暴力表現が観客に与える影響を慎重に見極めたかった、ということかもしれません。

まとめ

いかがでしたでしょうか?前回の記事の内容も含め、この『ハクソー・リッジ』という映画は、完成するまでに、さらに言えば、日本で公開されるまでに、かなり困難な道のりを歩んできたことがお分かりいただけたかと思います。

2016年から2017年にかけて『沈黙ーサイレンス』と『ハクソー・リッジ』という、いずれも日本を舞台に信仰を描いた映画が公開されました。この二つの作品には、公開までに時間がかかったという点や、どちらもアンドリュー・ガーフィールドが主演しているという共通点もあります。

不思議な偶然だったのかもしれませんが、日本の映画ファンにとっては感慨深いシーズンになったと言えるでしょう。


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