1982年に公開された『ブレード・ランナー』の続編『ブレード・ランナー2049』が、いよいよ2017年11月に公開されます。熱狂的なオールドファンにとって、今回の続編に対して前作を上回るような期待を寄せるのは難しいかもしれません。というのも、前作があまりにも完璧な作品だったからです。
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SF版ハード・ボイルド『ブレード・ランナー』の魅力
まずは、フィリップ・K・ディック原作のオリジナル作品をご存知ない方のためにその魅力を簡単にご紹介しましょう。
あらすじ
2019年、酸性雨が降りしきるロサンゼルス。強靭な肉体と高い知能を併せ持ち、外見からは人間と見分けが付かないアンドロイド=「レプリカント」が5体、人間を殺して逃亡。
「解体」処分が決定したこの5体の処刑のため、警察組織に所属するレプリカント専門の賞金稼ぎ=「ブレードランナー」であるデッカード(ハリソン・フォード)が、単独追跡を開始するが・・・(引用元:ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション より)
ファンが再発掘した最初の映画
『ブレード・ランナー』は「カルト的な人気を博した映画」として紹介されることが多いのですが、それは興行的に失敗し映画会社が見捨てた第一作をファンが再評価した経緯があるからです。ちなみに同時期に公開されたのは現在も全米興行収益ランキング(貨幣価値調整版)第四位にキープする『E.T.』でした。
ハード・ボイルドなコンセプト「渋い大人のカッコよさ」
『ブレード・ランナー』の魅力は『渋い大人のカッコよさ』だと思います。レイモンド・チャンドラーのハード・ボイルド小説、あるいは1940年代から50年代にかけてハリウッドで製作されたフィルム・ノワールと呼ばれた犯罪映画の世界をSFに置き換えた映画、それこそが『ブレード・ランナー』のオリジナル・コンセプトでした。
レイモンド・チャンドラー作品の主人公フィリップ・マーローがつぶやく『タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない』という名セリフがありますが、『ブレード・ランナー』でハリソン・フォードが演じたデッカードは、フィリップ・マーローの正統的後継キャラクターと言えるのではないでしょうか。
緻密なキャラクター設定とキャスティング
肉体的にも精神的にも弱さを抱えたまま必至に闘う主人公。薄汚れた街で場違いなほど美しい輝きを放つヒロイン。単純で薄っぺらい”悪の権化”とは一線を画す魅力的な悪役たち。『ブレード・ランナー』のキャスティングはメイン・キャラクターから、立ち食い蕎麦屋の主人といった脇役に至るまで、全くスキがないと言って良いほど完璧です。
「小汚い未来都市」というコンセプトの源流
日本の漫画『アキラ』や『攻殻機動隊』でもお馴染みの「小汚くてごちゃごちゃした未来都市」を最初に映像化した作品が『ブレード・ランナー』でした。
そこで描かれたカオス的な都市空間は『メトロポリス』や『2001年宇宙の旅』などのSF映画に登場する「無機質で清潔感あふれる高度に発達した都市」のイメージとは全く異なるもので、いわゆる「サイバー・パンク」の視覚的イメージの源流となりました。
特筆すべきポイントとして、この作品をきっかけに数々のSF作品のコンセプト・デザインを手がけた工業デザイナーのシド・ミードがプロダクション・デザインを担当したことがあげられます。彼の科学的、技術的な裏付けのあるデザインのおかげで従来の「オモチャっぽい未来観」が一掃され「カオス的だがテクノロジーが高度に発達した世界」のリアリズムが飛躍的に向上したのです。
ゴージャスな映像美
コマーシャル・フィルム(1984年のスーパー・ボウル中継で1回だけ放映されたアップルの伝説的CMなど)の監督だったリドリー・スコットは、ライティングに徹底的にこだわる完璧主義者として知られています。その象徴的なシーンが『ブレード・ランナー』の「タイレル社でのレイチェル尋問シーン」でした。(下の予告編では0:55~1:05に登場します。)
伝説的セット・デザイン
美大で舞台美術を専攻し、キャリアの出発点となったBBCではセット・デザイナーだったリドリー・スコットは、セット・デザインにも徹底的にこだわりました。彼の強い要望を受けて、巨額な費用を投じて建設されたロサンジェルス・ダウンタウンの近未来的なセットと、実在するブラッドベリ・アパートやセントラル・ステーションといったクラシカルな建造物併用して撮影した映像は、シンセサイザー音楽の先駆者の一人ヴァンゲリスが作曲したサウンド・トラックと完璧なまでに調和し、独特の世界観を生み出しました。
サウンド・トラックは全曲お勧めですが、なかでもバラードの「Love Theme」と「Memories of Green」は名曲です。
リドリー・スコットの日本観
多用されている日本に関係するモチーフも『ブレード・ランナー』をユニークな作品にしています。
「強力わかもと」や「TDK」の屋外看板や、雑踏シーンで使われた『おい、誰か変なものを落としていったぜ』という訳の分からない日本語サウンド・エフェクト、立ち食い蕎麦屋の主人がデッカードに向かって言う『二つで十分ですよ』という、これまた意味不明の伝説的日本語名セリフ。中国人キャラクターと日本人キャラクターをしっかり描き分けていたところも含め、日本文化に関するリドリー・スコットの強い関心がうかがえます。
リドリー・スコット監督は、2012年のインタビューで日本についてこんな風にコメントしています。
文化として、国家として、日本は私たちの視線を捉えて離さないんです。日本に対する理解が進んだ今、風変わりに感じることはもうなくなりましたが、今も魅了されます。日本には、いつも、どこかしらに視線を奪われる要素があるんです。
全体というよりは細かい部分に興味を覚えます。視覚的な意味合いと現実的な意味合いの両方でユニークと言えるかもしれません。イギリス人にとって日本は異質な国でありながらテクノロジーの面ではずっと進んでいる、そんなところが好きなんです。(引用元:The Japan Times)
リドリー・スコットが『ブレード・ランナー』の「カオス的だがテクノロジーが高度に発達した世界」のモチーフに日本を選んだ理由もわかります。
続編に対する複雑な想い
その『ブレード・ランナー』が公開されて34年と6か月が過ぎました。難解なストーリーを分かりやすくしようとナレーションを追加させたり、ラストシーンを差し替えたりしたあげく、一度は『ブレード・ランナー』を見捨てた映画会社ですが、30年以上も忠誠心を維持してきたファンに支えられた「金の生る木」を見逃すはずがありません。
私は、製作に回ったリドリー・スコットの後を引き継ぎドゥニ・ヴィルヌーヴが監督した続編のトレーラーをすでに10回以上見ましたが、公開日までに少なくともあと30回は再生ボタンを押すことになるでしょう。
オリジナル作品の30年後を描く続編の主人公は、ライアン・ゴズリングが演じる新しいブレードランナーです。世界を危機から救うため、行方不明(!)となったデッカードを探すところから物語が始まるようです。
旧作で警察署のシーンに使われたロサンジェルスのセントラル・ステーション、レプリカント製作の技術者が住んでいたブラドベリ・アパートの一室らしき場面に続いて、年老いたデッカード、というより老人となったハリソン・フォードが現われ、ファンに「伝説の一部」が崩れ去ったという事実を突きつけます。
(ネタバレ注意)デッカードが新型ネ〇〇スだったのなら話は別です。
ハリソン・フォードという俳優の存在なくして映画ファンとしての私の人生は語れませんが、ハン・ソロやインディー・ジョーンズならともかく、よりによって出演直後にあれだけ嫌っていた『ブレード・ランナー』の続編に出演するとはどうしても理解に苦しみます。(ディズニーからは『スター・ウォーズ/エピソード8フォースの覚醒』の出演料プラス撮影中の事故に対する慰謝料も支払われましたし、お金のためではないと思うのですが…。)
とにかく、10か月後に『ブレード・ランナー2049』を見終わった私が、自分が愛して止まない名作の続編というだけで意地悪な偏見を抱いていたことを後悔するようなハメになればいいのですが。
(なお最新画像を含む情報はEntertainment Weeklyの独占公開です。興味のある方はこちらからどうぞ!)
追記
この記事を書いている「2017年1月9日」は『ブレード・ランナー』に登場したレプリカント、ロイ・バッティの「誕生日」正確には「インセプト・デイト」です。こちらのファン・サイトにはロイを演じたルトガー・ハウワーのメッセージ映像もあるので、興味のある方はチェックしてみてください。