『ハクソー・リッジ』は、宗教上の理由から銃を携帯しないまま第二次世界大戦の沖縄戦に派遣され、後にアメリカ軍最高の栄誉とされる勲章を授与された実在の人物デズモンド・ドスの半生を描いたドラマです。
前回に続き、今回は『ハクソー・リッジ』が中国で大ヒットした理由を含め『ハクソー・リッジ』に関する5つの疑問を取り上げてみたいと思います。
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疑問その1:『ハクソー・リッジ』の映画化権取得まで、なぜ55年もかかったのか?
一発の弾丸も撃たなかったデズモンド・ドスが1945年にアメリカ軍の最高勲章メダル・オブ・オナーを与えられるという奇想天外なストーリーにハリウッドが興味を示さないはずがありません。それでは、なぜ映画化にこれほど長い時間がかかったのでしょうか?
結論から言うと、戦争の英雄扱いされることを嫌ったドスが、なかなか映画化に応じなかったからです。2000年に、ついにドキュメンタリーの映画化権を獲得したテリー・ベネディクト(余談ですが『オーシャンズ11』でアンディ・ガルシアが演じた悪役の名前の由来となった人物です)は、当時80歳になっていたドスに次のように話したそうです。
あなたのメダル・オブ・オナー受勲の物語は、例えるなら”大物を釣り損ねた釣り人の話”みたいなもので、とても信じられない話なんです。
あなたがこの世を去った後では、みんなきっとこんな風に言うはずです。「そんな大げさな話、だれが信じるか」って。だから、あなたが生きているうちにどうしても映画化したいんです。
2004年に公開されたドキュメンタリー映画『the conscientious objector(良心的兵役拒否)』は批評家に好意的に受け止めら、2006年に他界したドスも大変満足していたと伝えられています。
なお、この作品はハイビジョン撮影された初の長編ドキュメンタリー映画となり、日本のパナソニックとキャノンが技術面と資金面で協力しています。『ハクソー・リッジ』のエンディングに使われている実際の映像は、このドキュメンタリー映画の一部です。
(ソース:ReligiousLiberty.TV)
疑問その2:『ハクソー・リッジ』の当初企画は子供向け映画だったのか?
ドキュメンタリー映画が成功した後で、一般の劇場映画として再度映画化の企画が持ち上がり、日本のホラー映画『仄暗い水の底から』のリメイク作品でジェニファー・コネリーが主演した『ダーク・ウォーター』のプロデュースを手掛けたビル・メカニックが映画化権を買い取ります。
その後、『ナルニア国物語』などの子供向け映画で有名なウォールデン・メディアが、メカニックから映画化権を買い取りますが、PG-13指定(13歳未満の鑑賞には、保護者の強い同意が必要)にこだわった為に、企画は暗礁に乗り上げてしまいます。
ウォールデン・メディアとしては、戦争と信仰について真正面から取り上げるのではなく、例えば、同じくPG-13指定の『戦火の馬』のような、家族そろって楽しめる感動的な人間ドラマを目指したのかもしれません。
なお、『プライベート・ライアン』『ブラックホーク・ダウン』『硫黄島からの手紙』『フューリー』等の作品は、全てR指定(17歳未満の観賞は保護者の同伴が必要)となっています。
(ソース:Variety)
疑問その3:『ハクソー・リッジ』はアメリカ史を描いた作品なのに、なぜオーストラリアとの合作になったのか?
一時はお蔵入りの危機に陥った『ハクソー・リッジ』ですが、ウォールデン・メディアから映画化権を買い戻したビル・メカニックが、オーストラリアとの合作という道を選択したことで息を吹き返します。
出演者やスタッフにオーストラリア人を起用し、撮影をオーストラリア国内で行うなど一定の条件を満たしたことで、オーストラリア政府から税制面の優遇措置を受けることができたのです。
かつてオーストラリアで暮らし、オーストラリア映画『マッド・マックス』でスターになったメル・ギブソンに監督のオファーがあったのも、こうした背景と無関係ではなかったようです。
なお、製作拠点はシドニーのフォックス・スタジオ内に置かれ、主なロケーション撮影は、かつてメル・ギブソンが住んでいたオーストラリアのニューサウスウェールズ州で行われました。また、メインキャストのアンドリュー・ガーフィールド、ヴィンス・ヴォーン、サム・ワーシントンを除くほとんどの出演者はオーストラリア人です。
(ソース:Variety)
(次項に続く)