『ハクソー・リッジ』に関する5つの疑問「中国で大ヒットした理由は?」「なぜオーストラリアとの合作になったのか?」

(前項から続く)

疑問その4・『ハクソー・リッジ』のテーマは?~メル・ギブソンのインタビューとキリスト教系雑誌のレビューで読み解く

『ハクソー・リッジ』の中心的なテーマは、信仰であると言って良いと思います。さらに踏み込んで言えば、「信仰と現実の狭間でどのようにバランスを維持すべきなのか?」という問いかけでしょう。

その一方で『ハクソー・リッジ』は日本人の感覚で言う反戦映画とは異なる作品だと思います。平和主義者だったドスを主人公にして描かれた『ハクソー・リッジ』が反戦的な立場をとっていることについては異論の余地がありませんが、国を守るために戦うという戦争行為自体は否定していませんし、糾弾もしていません。

そうした立場は、ドスが所属していたセブンスデー・アドベンチスト教会(以下、アドベンチスト教会)も、あるいはアメリカのキリスト教主流派も同じであると言って良いと思います。

ドスが所属したセブンスデー・アドベンチスト教会は『ハクソー・リッジ』をどのように評価しているのか?

ここでアドベンチスト教会と『ハクソー・リッジ』の関係について、簡単に整理しておきましょう。

アドベンチスト教会は、信者数の人口比でアメリカ国内最大の46.5%(ソース:PEW RESEARCH CENTER )を占めるプロテスタントの中では少数派です。その理由についてここでは詳しく触れませんが、いわゆる聖書主義を説いていることが関係していると言われています。

なお、アドベンチスト教会は『ハクソー・リッジ』の中で大きく取り上げられた「汝、殺すべからず」という聖書の一節や、土曜日を安息日として定めた教え等と相容れない軍隊の規範については、その対処の仕方を信者の自主性に任せてきたと説明しています。

ちなみに、アドベンチスト教会は自らのWEBサイトで資金面も含め『ハクソー・リッジ』の製作に教会として関与していないことを明記しています。しかし、その一方では『ハクソー・リッジ』を布教活動に役立てようと、映画が自分たちの教えを正確に描いているとお墨付きを与えたうえで「映画を観た人からの質問にどのように答えたらよいか」という信者向けのガイドを提供しています。

(参照:Adventist Review

メル・ギブソンが考える『ハクソー・リッジ』のテーマとは?「『ハクソー・リッジ』は信仰の自由に関する難解なパズルだ」

敬虔なクリスチャン(カソリック)であるメル・ギブソンは、キリスト教信者向けの雑誌「クリスチャニティ・トゥディ」のインタヴューに応じています。信仰の自由について聞かれたメル・ギブソンは、『ハクソー・リッジ』は、もし自分がドスと同じ立場に立ったらどうするか観客に考えてもらうための『難解なパズル』だ、と話しています。

人々は自分たちが何者で、相手が何者なのかを見極めることを求められます。他人との大きな衝突や軋轢なしに、そんなことができるでしょうか?

私はこの種の衝突こそが、人生の真実だと思います。自分の信念を維持しながら、どうやったら自分を取り巻く物事と共存できるのか、その最善の方法を探ることがもっとも重要なのです。

(翻訳引用元:Christianity Today

アメリカのキリスト教徒向け雑誌「クリスチャニティ・トゥディ」は『ハクソー・リッジ』をどのように評価しているのか?

先ほどご紹介した「クリスチャニティ・トゥディ」には『ハクソー・リッジ』のレビューも掲載されてます。その一部を抜粋してご紹介します。

『ハクソー・リッジ』のメッセージは、政治的と言うよりは人間的なものだ。そのメッセージは、やせっぽちの平和主義者とG.I.ジョーが互いに容認しあうだけでなく良い友達になれるような世界について、深く考えさせるものだ。

それは、映画の中でドスと、最初はドスの信仰心を馬鹿にしていたものの後に尊敬するようになる古参兵で、まるで殺人兵器のようなスミティ(ルーク・ブラセイ)とのやり取りの中で探求されるテーマである。

大幅に異なる生い立ちと信条を持った人々は、一方に極めて偏り、かつ細分化された共和国の中で、平和裏に共存することは可能なのだろうか?

この映画が提示したようにそれが可能だとしても、それは、私たちが互いに耳を傾け理解し合おうとする関係性の中でのみ起こることだろう。

(翻訳引用元:Christianity Today

(次項に続く)

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