第89回アカデミー賞授賞式で、作品賞受賞作を誤って発表するという前代未聞の不手際が発生しました。(日本では「発表者の読み間違え」と報道していたテレビ局がありましたが、これは明らかに”フェイク・ニュース”です。)現時点で判明している事実関係をまとめた上で、今回の事件における最大の被害者は誰なのか考えてみたいと思います。
作品賞の発表時に起こったこと
第89回アカデミー賞のクライマックスである作品賞のプレゼンターは、アメリカ映画史に残る不滅の名作『俺たちに明日はない』で共演したウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイでした。トリを飾るにふさわしい大物俳優2人を観客はスタンディング・オベーションで迎え、場内の盛り上がりも最高潮に達しました。
ちなみにフェイ・ダナウェイもウォーレン・ベイティもアカデミー賞受賞者ですが、意外なことにウォーレン・ベイティは監督賞(『レッズ』)で受賞しています。今年80歳になるベイティは、かつてはかなりのプレイボーイとして有名で、数多くの共演者と浮名を流したことで知られています。その中には、カトリーヌ・ドヌーヴ、ダイアン・キートン、マドンナ、昨年亡くなったキャリー・フィッシャー、そして今回久しぶりに共演したフェイ・ダウアウェイなどが含まれます。なお、今の奥様のアネット・ベニングとは1991年の『バグジー』で共演し、ベニングの妊娠後に結婚しました。
さて、作品賞の発表に話を戻しましょう。ノミネート作品の紹介が終わり、封筒から作品賞の受賞作品名が書かれた便箋を取り出したベイティですが、それに目をやるなり明らかに動揺します。後で分ったように、そこに書かれていたのは『ラ・ラ・ランド』で主演女優賞を受賞したエマ・ストーンの名前だったからです。
ドラムロールがクライマックスを盛り立てる中、ベイティがわざと発表を遅らせていると勘違いした観客席からは失笑が起きますが、それは隣にいたフェイ・ダナウェイも同じでした。かつての恋人の悪ふざけにあきれ顔のフェイ・ダナウェイは「カモーン!」と発した後で、ベイティの差し出す封筒を手に取ると、声も高らかに『ラ・ラ・ランド!』と読み上げます。
そうなんです。『俺たちに明日はない』の二人は何も悪くないのです。
封筒取り違えよりダメージが大きい事態収拾の不手際
ステージに駆け寄って来たヘッド・セット姿のアカデミー賞スタッフから真実を聞かされた『ラ・ラ・ランド』のプロデューサーは、正しい封筒をウォーレン・ベイティの手からむしり取ると、「間違えがあった。作品賞は『ムーン・ライト』です。これは冗談ではないんです。『ムーンライト』の皆さんはステージにあがってください。私たちから賞を渡します。」と、運営サイドを差し置いて、勝手にアナウンスしてしまったのです。
その後、ベイティがマイクを持ち「渡された封筒には『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンと書かれていた。だからああやって封筒をじっと見つめていたのです。冗談を言うつもりではなかったんです。」と釈明しています。
また、主演女優賞を獲得したエマ・ストーンは、授賞式閉会後の記者会見で「主演女優賞を受賞した後は、オスカー像と一緒に封筒をずっと手に持っていた」と答えています。
いったい何が起こったのでしょうか?CNNの報道によるとアカデミー賞各賞の封筒は、主演女優賞の封筒を含め、非常時に備えてステージの上手と下手で各一通づつ合計二通が準備されているそうです。今回の騒動はスタッフの誰かが、作品賞の封筒の代わりに、既に受賞が終わっていた主演女優賞の封筒をベイティに渡してしまった為に起きたようです。
今回の不手際の責任は、アカデミー賞スタッフにあることはもはや疑いようがありません。運営会社からは関係者への謝罪と、原因究明のために事故を調査するとのコメントを発表しています。
先日のグラミー賞でも、メタリカとレディ・ガガの競演でマイクに不備があり、メタリカのヴォーカル、ジェイムズ・ヘットフィールドが大激怒するという不手際があったばかりですが、アメリカのショービズ界の2大授賞式で致命的なミスが連発するという、前代未聞の事態となってしまいました。
一番気の毒なのは誰だ?
今回の騒動で一番気の毒なのは誰でしょうか?確かにぬか喜びさせられた『ラ・ラ・ランド』の皆さんも気の毒なのですが、個人的にはウォーレン・ベイティだと思います。
80歳になろうとする大御所俳優は、もうろくして受賞作品を読み間違えたと誤解されるわ、怒りを露わにした『ラ・ラ・ランド』のプロデューザーから封筒をむしり取られるわ、アカデミー賞初司会というコメディアンの晴れ舞台で起きた大失態に動揺し、おそらく事態を把握しきれていなかったジミー・キンメルに「何てことしてくれたんだ」とセンスのないギャグの攻撃にあうなど、本当に気の毒でした。
この日は姉の大女優シャーリー・マクレーンも、シャーリーズ・セロンと一緒にステージに立ち、観客席からスタンディング・オベーションを受けていました。(お得意の「超常現象自虐ネタ」で笑いも取っていました。)観客席から手振る姉に笑顔で応えていたウォーレン・ベイティは、自分自身のキャリアもクライマックスに差し掛かった今、まさかアカデミー賞のステージであんな仕打ちを受けるとは夢にも思わなかったことでしょう。
予想された政治的な発言はかなり控えめ
なお、トランプ大統領就任後初めて行われた今回のアカデミー賞授賞式は、反トランプ的な政治色の強いものになると言われていました。ただ、ふたを開けてみると司会のキンメルが、オープニングのモノローグを中心に普段通りのトランプ・ネタを披露したこと、加えて7か国に対する旅行禁止措置に抗議し受賞式出席を見合わせたイラン人のアスガル・ファルハディ監督の「セールスマン」が外国語映画賞を受賞した場面を除けば、セレブの口から強い調子で政治的な抗議が聞かれることはありませんでした。
ゴールデン・グロープ授賞式でトランプを批判し返り討ちに会ったメリル・ストリープ、授賞式前日にジョディ・フォスターと一緒に反トランプ抗議集会に参加したマイケル・J・フォックス、そしてトランプが大統領に就任したらアメリカ国外に移住すると公言していたサミュエル・L・ジャクソンからも、トランプ批判は聞かれませんでした。
国論が二分された状態にあるなかで、これ以上対立をあおるのはビジネス的にも得策ではないという判断が働いたのかもしれません。同様な対応はスーパーボウルでも見られました。
まとめ
今回のアカデミー作品賞取り違え事件は、アカデミー賞で起きたあらゆるアクシデントの中でも間違いなしにワースト・ワンの大失態でしたし、この先何年も語り継がれることになるでしょう。
後味を悪くした最大の原因は、『ラ・ラ・ランド』関係者がステージに上がる前にショーをストップできなかったことにあると思います。
世界中の視聴者が見守る中で、トラブルをユーモアで切り抜ける最期のチャンスは、ショーマン・シップを持ち合わせてるとは限らない『ラ・ラ・ランド』のプロデューサー達がマイクを握ってしまった時点で完全に失われました。
この後味の悪さを払しょくするためには、『ラ・ラ・ランド』と『ムーンライト』を両方見るしかないかもしれません。